上赤田 鈴木健司氏編
(1)正月行事
(2)春から夏への行事
(3)盆行事
(4)秋から冬への行事
マユダマダンゴ(繭玉団子)
アーボー・ヒエボー(粟穂・稗穂)粟棒・稗棒(旧村アーボー・ヘーボー)
鳥小屋・ドンド焼き
ぼうじぼう
ボウジボ・ワラデッポウ
1年間のすすをはらう日で家内を大掃除し、正月の準備をした。・12月27日・28日 餅つき
家の土間で餅をつき、「一夜餅や九日餅はつくな」といわれ、31日や29 日の日には餅をつかなかった。
弊束やしめ縄、塩、にぼしなど朝風呂に入った年男が大神宮、井戸などに供
え、若水を汲み家族が飲んだ。食事は各家によって異なるが、どこの家庭でも
3日間は同じ食物を食した。・2日 初荷
馬に新しい荷鞍をつけ、首にシナの木皮を付けて馬を飾った。そしてその馬
が馬車を引き、馬車に積み込んだミカンをまいた。・1月6日 山入り
山に行き、餅、煮干、オサゴ、ナミノハナ(塩)、を持って紙をひいて供え、
方位を見て、あいている方の生木を切ってきた。これを木の切り初めとし、山
の神に一年間の山仕事の無事を祈った。・1月7日 七草
七草がゆをを作る日で、朝、主婦が「ナナクサ、ナズナ、トウドノトリ、ワ
タラヌウチニ、ストトン、ストトン」と唱えごとをしながらナナクサ、セリ、
大根、ニンジン、ゴホウ、ナッパ、白菜などをきざみこんでカユを作り、家族
が食した。・1月11日 鍬入れ、カラスヨバリ(烏呼び)
鍬で3うね3さくり、うねをたてその上に米、餅、ニボシ、酒、松、弊束を
立て「カラース、カラース」と烏を呼ぶ。カラスが最初のうねのものを食べれ
ばその年の作付けはワセがよく、中、最後のものを食べれば、ナカ、オクの作
付けがよいと占いをした。
・1月14日 トリ小屋・ドンドン焼き・14日ダンゴ
子供たちが、各家を回ってシメ縄、門松、お供えなど集めて歩き、田か畑に
小屋を作り、燃やして、餅や団子を焼いて食する。また、この火にあたると
「厄病にとりつかれない。」という俗信があり、厄年の人はミカンなどをその
廻りにまき、村の人にひろってもらう。これは「厄を分ければ軽くなる」とい
う俗信から行なった。
ミズの木にだんごをさし、大神宮、井戸、仏様、アマヤ、堆肥の上にあげ、
お供えと交換する。堆肥には、ノデンボ(ノデ棒)のハナとアワボー(粟棒)、ヒ
エボー(稗棒)とともに竹にさして供える。これは2日間飾り、「二十日の風に
当てるな」という俗信があり焼いて食べた。1月15日 アズキガュ、オソナエクズシ、正月のお供え餅を入れ、アズキカ
ユを神様、仏様にあげ、ノデンボウのはしで食べた。1月20日 二十日正月、エビスッコ(朝エビス)
この日は餅をついた。恵比寿が朝稼ぎに行くと言われ、朝に川魚(どじょう)
をどんぶりに入れ一升マスにお金をお膳にあげて祝う。
トボにさしした家ロ(戸口)に豆腐とニンニクをさし、屋根の上に、メカイを干し物竿の先かかげる。また戸口に草刈りカゴを置き、その上にニンニク豆腐をさもある。これは厄病除けにするということである。2月10日 ジチン様(地鎮様)
前日に台所にうすをおいておき、この日は、朝方にカラウスを3回つき、一升マスに団子を入れウスの上にあげておく。
イワシの頭にツバをつけながら焼き、大豆のカラにさし、ニンニクとともに戸口、便所、母屋、納屋などにさした。年男が「福は内(2回)、鬼は外(3回)」を唱えながら、大神宮からオカマ、井戸、便所などの順で豆をまいて歩いた。
この日は大豆(年越しの煎り豆)、シオビキの頭、油あげ、大根などを材料にシモツカリを作り、赤飯とシモツカリをワラット(ツトッコ)に入れ稲荷、各神々にそなえた。このシモツカリはこの午、三の午にも作った。3月 彼岸
迎えの日はマンジュウ、中日は「盆にボタモチ、彼岸にやダンゴ」と言われ、
団子を作り、送り彼岸にはお菓子、団子を墓にあげてきた。3月 節句、3月節句、ひな祭り
女の子の祝いでひし餅(紅、白)草餅を作りひな飾りをした。4月8日 お釈迦様
戸口に藤の花、つづじを飾りお釈迦様の生誕を祝った。5月4,5日 節句、端午の節句
4日の目は、ショウブ湯に入ると「蛇に見込まれない。」との俗信がある。
また、ショウブ、ヨモギを軒にさした。
5日はカシワマンジュウを作り、コイノポリを飾って男の子の祝いをした。・6月1日 ムケの一日
「むけかえる。」という俗信がある。ウドンなどを食し農作業を休んだ。・6月 サナブリ
田植えの終わった頃、区長が通知を出し仕事を休み田植えの終了を祝った。
この日は、ウドンや餅を作って食し、字ごとに子供相撲をして楽しんだ。
この日は、「地獄のカマのフタがあく」といわれ、新粉でまんじゆうを作り 仏様にそなえた。・7月7日 七夕
笹竹にタンザクや色紙を付けて飾った。「大根畑にさすと虫がつかない。」・7月8、9日 墓掃除
との俗説があり、翌日大根畑けにこれをさした。
各家ごとに墓掃除をし、花たてを作って死者の数だけ2本づっさしてきた。
・7月13目 迎え盆
墓から提灯に火をともしてきて精霊を迎えた。仏壇には、まんじゆうなどの
食物をそなえた。新盆の家では新たに盆棚を作り、庭にタカンドウロウ(タカ
トウロウ)を1週間位竹の先に立てておいた。
・7月16目 送り盆
この日だけはボタモチを作り、ナス、キュウリで馬を作って墓場や十字路等
において精霊をおくった。
・7月17日 うら盆
この日は、農作業を休んだ。また、この日まで、13日から盆踊りを毎晩行
なった。これは若衆組が中心になって神社の境内で行なった。
村の子供が鎮守様の境内で子供相撲をして楽しんだ。
・8月15日 十五夜・月見
柿、ススキ、栗、ご飯、おにしめなどとまんじゆうを15個机の上にそなえ
た。子供たちは各家の庭を「大麦あたれ、小麦あたれ、三角畑のソバあたれ」
と唱えごとをしながらボウジボの中に芋ガラを入れて、たたいて歩き金をもらつた。
9月 秋彼岸
春の彼岸と同じ行事であるが、秋の実る柿や栗、梨などを仏様にそなえた。
9月9日 初グンチ(初九日)
コト日である。
9月13日 十三夜、月見
8月15日の十五夜と同じ行事であるが、十三夜には小麦まんじゆうを13個そなえた。
9月19日中グンチ(中九日)
9月29日末グンチ(末九日)
19、29日の両日は9月9日の初グンチと同じくコト日であった。
10月10日 ジヂン様(地鎮様)
「じぢんさまが餅をしょって上がる。」という俗信があり、餅をついて、ウ
スの上に供えた。田植えのときに手伝ってもらった家に餅を配って収穫を祝っ
た。
10月13日 鎮守の祭り
地区の鎮守の祭りで、芝居などをして楽しんだ。
10月20日 エビスッコ(宵恵比寿)
1月20日のエビスッコ(朝恵比寿)と行事は同じであるが、この日は「恵比
寿が夜、稼ぎから帰ってくる。」といわれ、夜、恵比寿に供え物をした。
10月 カリアゲ
この日は、ボタモチを作った家もある。
11月 冬至
この日はトウジナス(カボチャ)を煮て食した。
12月1日 カピタリ
カビタリモチをついた。「餅を食わないうちに川に入るな。」という俗信に
従って、川にこの餅を流した。
12月8日 ニンニクドウフ、ニンニクヨウカ
2月8日と同じ行事をした。ニンニクと豆腐をトポロにさし、メカイを屋根
の上に立てた。これはニンニクが非常に臭く、メカイの目の数が非常に多いこ
とから疫病を退散させるという事を行なった行事である。
◎通称・呼び名 「トンボダンゴ」「マユダマ」「14日ダンゴ晒赤田)」「まるめ(旧村)」
◎作 る 材 料 米の粉(粉団子)
◎作 る 日 「小正月」1月14日の朝
◎か た ち 丸い形、繭、里芋、臼 ※紅白の団子もある(開拓地)。
◎団子をさす木 みずの木(ミズキ・水木)、楢、樫、梅(旧村地区)
◎お供え場所
旧 村 ・楢の木は臼に縛ってオカマサマ(台所)◎お 供 え 後 ・祀り終わった後は、どの木の団子を食べても家人に何も言わ れることがなかったから、
・樫の木は床の間
・丸い団子を十個付けた楢の木の小枝は戸口(玄関)
・梅の木にさしたものを仏様
・樫の木にさしたものは大神宮様
・みずの木は年神様
開拓地 ・みずの木に紅白の団子を飾り付け、神棚、仏壇、オガマ様(台所)、氏神様など
・三島地区では、オガマ様・オムヅラ様には樫の木に六つの団子を付けて飾ると決めていた。
・ミズの木に団子をさし、大神宮、井戸、仏様、アマヤ、堆肥の上にあげ、お供え物と交換する。
これらは、19日にとる。
◎そ の 他 ・ドンド焼きの時に焼いて食べると「風邪をひかない」「ノウ
ヤミ(頭の病気)しない」二区町では、十九日の風に当てない ということで、十八日にその飾りを解いた。
・ダンゴのゆで水は家のまわりにまくと「夏に蛇が入らない」
「団子を二十日の風にあわすな」との俗信がある。
・柿木を「ナンネトキルゾ、ナンネトキルゾ」と唱えながら、
なたで傷をつけ、そこに団子のゆで水をかける。これは成木
責めの行事である。
◎目 的 作物の豊作を祈る
◎作 る 材 料 ノデンボウ(ヌルデの木)、ハゼノキ、15日に飾る。
◎か た ち 粟の穂(皮をむいて白くする)や稗の穂(皮をむかずそのまま)形、長さ20センチ
◎飾り付ける物 約1メートルの真竹の先を三つに割り、それぞれ先に刺す。堆肥には葉の付いた竹を使う。
◎お供え場所 歳神様、大神宮、氏神、オカマサマ、ソウゼン、井戸神、肥庭(堆肥のおいてある場所)
◎そ の 他 西赤田では、ノデンボ(ノデ棒)のハナとアワボー、ヒエボーの三つを作る。
◎通称・呼び名
「とりごや」「ドンドン焼き」「とり追い(とり小屋)」旧村
「トリ小屋」「トリゴヤドント」西赤田
「トリ小屋」「サッカケ小屋」一区町
◎作 る 日 「小正月」1月14日
1月15日(三島・赤田)
◎作 り 方
・畑や田に四坪ほどの広さに四方に松柱を立て骨組みを作って から青竹を出入り口に残して囲りに立て掛け隙間なく稗柄や 藁で覆った。この松や青竹、稗柄や藁、とりごやを作るのも 若い衆の仕事。とりごやが出来上がると若い衆は、その中で 御酒や持ち寄った材料等で宴を張った。そして夜八時近くに なると、とりごやに火がかけられ各戸の正月の飾り物も火に 入れて焼かれた。男の25歳42歳、女の19歳33歳の厄 年の者は、集まった人々に向かい落花生を撒いた。戦後は、 落花生に代わり密柑になった。この間に子供たちは「のでん ぼ一刀」を火にあぶり焦がすようにした。これをすると子供 が健康に育っと言われた。(「東関根忘れ去られた生活」より)
・十四日の午後ともなると村の若集や子供たちが畑や田んぼに集まり、竹や稗柄・麦わらを集め、竹を切って四坪ぐらいの 小屋を作り、中は部屋のようにして、ごちそうを持ち寄り、 そこで遊んだあと火を付けて、その火で団子を焼いて食べる 習わしがある。(旧村地区)
・子供たちが中心となり、畑にいくつかの小屋を作り、夕方に燃やして、トンボダンゴを焼いて食べた。トンボダンゴを食 べると頭が痛くならないとか、風邪をひかないといわれ、正月飾りや古いお札も一緒に燃やした。(開拓地)
・この行事は、現在子供会育成会やコミュニティ活動で行われ ている。
・十四日の午後、村の若集や子供たちが田の中に九尺四面の小屋を新竹や麦わら、稗柄などで作り、その中で家々から持ち寄った御馳走を火を燃やしながら食し、遊んだ。夜になると この小屋を焼き、トンボ(戸口)団子を焼いて食べた。「この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない」「この火にあたると風邪をひかない」との俗信があり、また、厄年の人は、火のまわりにミカンやお金を撒いた。翌日、この灰をとってくる「この灰を煙草作りに使うと病気が入らない」という俗信がある。子供たちはノデボウで脇差しを作り、火の中にこれの先を入れていぶしてくる。(旧村地区)
・子供たちがしめ縄、門松、お供えなどを集め、田か畑に小屋を作り、燃やして団子や餅を焼いて食べる。この火にあたる と「厄病にとりつかれない」また、厄年の人はミカンなどをそのまわりにまき、人に拾ってもらう。これは「厄を分ければ軽くなる」という俗信から行なった。(西赤田)・子供たちが正月の門松を集めてきて、サッカケ小屋を組ごと に田の中へ作り、その中で餅を焼いて食べ、楽しんだ、その後小屋に火を付け、ドンドン焼きをし、その廻りで餅を焼い て食べた。この火で焼いた餅を食べると病気にならないとの俗信があり、また厄年の人はミカンをまいて厄をはらった。 (一区町地区)
「ぼうじぼ」とも言い、陰暦の8月15日と9月13日の夜に子供たちが家々を回り藁鉄砲(ぼうじぼ)を地に打ちつけながら、「大麦あたれ 小麦あたれ三角畑の蕎麦あたれ」とか「ぼうじぼっくり山芋 大麦あたれ 小麦あたれ 三角畑の蕎麦あたれ」等と唱えて豊作を祈る子供の行事である。また、地を叩くことによって農作物に害を与える土龍(もぐら)を追い払うとか害虫を追い出す虫追いの行事だと言う説もある。
この日はちょうど月見の日に当たり、秋の名月を賛美する。
8月15日は、中国では「仲秋節」と言い様々な月見行事が古くから行われている。わが国では、醍醐天皇の延喜9年(909年)に初めて行ったと言われている。
9月13日の月見は、中国では行っていなかったが醍醐天皇の延喜19年に清涼殿で月見の宴を催したのが初めてと言われるがわが国独特の行事である。当時の月見はお供え物はせず、詩歌管弦楽の催しをして月を賛美した行事のようであつた。宮中で行われた月見行事でよく例にされるのに、御水尾院当時の公事がある。名月の御盃と言って一献に芋三つを土器に盛り二献茄子三つを同様に盛って出すと、天皇は清涼殿に設けられた座で、茄子を萩の箸で三度突き刺し、その穴から月を覗いて願い事をしたそうである。
江戸時代に入ると、月見行事が民間でも盛んに行われるようになり、名月の夜、小机の中央に三方を据え、団子と共に枝豆、里芋、栗、柿等を盛り、花瓶に薄(すすき)と秋草を生けて名月に供えるようになり、現在とほぼ同じ習わしがつくられた。
十五夜は、主に芋を賞味するので「芋名月」、十三夜は主に枝豆を賞味するので、「豆名月」とも呼ばれている。俳句の季語として芋名月・豆名月の言葉が用いられているそうである。
栃木県における月見行事の習わしの多くは、月の見える縁側に食卓(チヤブダイ)を出し、皿や盆に里芋、さっまいも、柿、栗、その他季節の野菜や果物、煮染め、団子(十五夜に十五個、十三やに十三個の地域が多い)を盛り、一升瓶に薄(十五夜に五本、十三夜に三本)、栗季節の草花を生け灯明等の供え物をして収穫に感謝し名月を賛美する。
十五夜の月見ができない時には「片見月」と言って忌事とし、十三夜の月見をしない。
月見と会わせて行う行事については、冒頭に記した「ぼうじぼ」があるが、その外にこの日に限って天下晴れて子供は「カッパライ」「ダンゴツキ」等と言って、家々を回って供え物を竹竿や錆(もり・ヤス)に突き刺して物盗みを許される地域もある。供え物を盗られた家では「縁走己がよいl♪言って童ぶ風がふろ♪を回って供え物を竹竿や錆(もり・ヤス)に突き刺して物盗みを許さる地域もある供え物盗れた家で「縁起言喜ぶ風看 フ。 これに似た風は島根県にもあり、十三夜の夜、子供が長い竿で供物を刺しに来る、あるいはこの晩はどこの畑の物をとって食べてよいと言う。
なお、本地域では十五夜が彼岸にかかるときはぼうじぼをしないと言う習わしがある。
このボウジボの行事は、今でも子供会を中心に行っており、秋の夜長を地区の子供たちが練り歩く光景が見られます。豊作を祈るという気持ちは薄らいでしまつていますが、お供え物やお菓子をもらいながら家々を回ることが、子供の心にも地域の和を深める役割を育てているのではないでしょうか。
※ワラデッポウ打ちの習俗は、地面を打つことにより、作物に害を与えたり、庭
を掘り起こしてしまうモグラを打つ真似をしているのだろうという所が多い。
また、これは、地の神をよみがえらせるためだとみる人もいる。
(「下野人の願い」)
♪♪♪♪♪♪♪♪ ぼ・う・じ・ぼ昌和 ♪♪♪♪♪♪
ぼ う じ ぼ あ た れ 三角畑のそば あたれ
大・麦 小・麦 大豆も 小豆もみなあたれ
家・内・安・全! 商・売・繁・盛!
※ 平成13年
秋の彼岸 9月20日彼岸入り
23日秋分の日
26日彼岸あけ
十五夜 10月1日(月)
十三夜 10月29日(月)